『「豊かな社会」日本の構造』に関する乱雑なメモ

渡辺治の『「豊かな社会」日本の構造』。1990年刊行。バブルがピークを越え崩壊への道をたどり始めた頃の本。まだ第一章しか読んでいないが、読みやすく、かつ刺激的な内容。ただ論の是非を判定する能力が僕には無いのでメモに留める。


著者は日本経済の特殊な構造を「企業の労働者支配」と捉える。日本経済の特徴を「会社主義」と捉えるのは珍しくない。著者は、馬場宏二の「会社主義」概念を敷衍しながら論を進めている。では馬場と渡辺の違いはどこか。
馬場が「会社主義=社会主義」という認識なのに対し、渡辺は「会社主義=資本主義的論理の過剰貫徹」とみなす。
戦後のオイルショック時にワークシェアリング等で労働時間の減少を余儀なくされた他の先進国に対し、日本は、職場の徹底的な省力化を図ると同時に、少ない人員に多大な労働時間(サービス残業などの時間外労働を含む)を課すことによって例外的な経済成長を維持できたという。このとき労働組合は、

団結によって、資本と対抗・交渉して労働者の利益の維持増進を追求するのではなく、企業と協力し企業の業績を上げ”パイ”を大きくして、その分け前で労働者の生活を改善しようというのが、日本の協調組合運動の主要な理念であった

とされる。
著者によると、労働組合や左派政党が担うべき「福祉国家」戦略が日本では70年代後半以降も根付かず「成長国家」戦略のみが定着していった。企業単位の組合に労働者が包摂され、企業の枠を越えた階級意識は薄まっていった。戦後社会党の伸び悩みが、高度経済成長による労働者層の増加と重なっているのはこの事による。
では、どのように企業は労働者を包摂してのか。

私は労働者の企業への求心力の核は企業が身分制の障壁を打破することを中心にして、労働者間の不断の競争を組織しえたことにあると考えている。そこでの鍵となる原理は、客観的には参加でなく競争である。

労働者の総「働きバチ化」(著者もこの言葉を使っている)への批判はたくさんあっただろうが、著者の眼目は、それが、「成長国家」戦略における競争原理を核とした「企業の労働者支配」によるものだ、という点。
再び引用。

福祉国家」の理念に代わって日本の支配的イデオロギーとなった「成長国家」の理念は、「結果の平等」ではなく、「機会の平等」、能力発揮の場・条件の平等を強調する点で、いちじるしく競争主義的である。

この労働者支配の構造は、一方で「終身雇用」「年功制」にみられるように、企業への労働者の所属意識を高める装置を持っているが、主要には、企業への貢献によって昇進・昇格が可能であり、かつ昇進・昇格の基礎は、企業の側の査定によるという特殊な競争秩序を本質とするものであった。

「主要には、企業への貢献によって昇進・昇格が可能であり、かつ昇進・昇格の基礎は、企業の側の査定によるという特殊な競争秩序を本質とするものであった」、この部分の実証的検証が(まだ)ないので判断は保留。



左派の歴史的反省という点ではとても勉強になる。まだ第一章しか読んでいないので今回記したこともおいおい詳述されるはず。

この文章はあくまでメモなので論理の曲解があれば謝罪の上訂正いたします。