「出会い」についての抽象的なメモⅡ

出会いの前の空虚、非実在的実在が、出会いの後に、実在的な世界へと「変身」すること。
たとえば、純粋なイメージが常に失われたものとしてしか存在せず、言語のもとにおいて、殺人犯である言語のもとにおいてのみ、イメージが存在しうること。(ル・クレジオ『来るべきロートレアモン』)
プラトニックな精神が肉体を裏切るのと同時に、肉体は精神を常に裏切り続けること。(坂口安吾恋愛論」)
「与えられた」不確定で不安定な実在の関係を、出会いによって生じた世界の変化を受け入れること、グレーゴル・ザムザがそうであったように。ただし、「与え」てくれる主体は、出会いの事実そのもの。

現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする、即物的な態度はともかく厳粛なものだ。物自体が詩であるときに、初めて詩のイノチがありうる。
坂口安吾恋愛論