「修羅」読了

石川淳「修羅」を読了。講談社文芸文庫『紫苑物語』所収。
応仁の乱真っ只中の都に蔓延る足軽ども、その足下には「人間と縁の切れた」死骸の数々。
そんな世相において、家から逃れた「山名の姫」胡摩は、高名な禅師一休宗純のもとを経て、足軽よりさらに下の者たち、人にあらざる者たち「古市のもの」の村へと至りその頭となる。
幾多の足軽の中の一人である大九郎、仲間彦六と共に、公卿秋季と謀りあいながら、関白一条兼良の秘宝を奪おうする。が、かつて遠目に一度きり眺めた「山名の姫」への執心捨てがたし。
一休宗純とその弟子蜷川新左衛門*1、乱世の都を傍目に語り合う。そんな折、蜷川新左衛門は、さくらの木の下に、一人の女、鬼と出会う・・・



「山名の姫」から「古市の頭」へ、という胡摩の存在を縦糸としながら、足軽大九郎、一休宗純、蜷川新左衛門、秋季、それに加えて名前だけが挙がるのみだが将軍義政、関白一条兼良・・・といった存在を横糸に編まれた物語。文芸文庫で161〜261ページと、この文庫に入った三つの中では最長。また三つの中で、足軽という理解しやすい役割が存在することもあって、最も「無頼派」っぽい作品でもある。



「古市のもの」とは「紫苑物語」における「血のちがうもの」を思わせる。足軽より下のものという記述から見ても、江戸時代のエタ・ヒニンや、近代の被差別部落を思わせる。室町時代にそのような存在があったか*2は不勉強ゆえ知らないのだが、作者はそれを空想的に虚構化している。この虚構化―「古市(古い血?)のもの」=鬼―も、いろんな古典からの借物だろう。
解説で立石伯が、この「無道人」たちは何に挑みかかるのかと問い、こう答えを出している。

下克上の乱世にあって、利と権をもとめる足軽乱妨は表層の渦巻にすぎない。阿修羅の別名である無道とは、世の建直しにほかならない。そして、ここにこそ血のかよった人間の群運動が覗見される。淳は乱世の革命神話をこそ描いたのである。

う〜ん、と考え込んでしまう。これじゃ『死霊』*3だ。たしかに立石氏の言うような革命意識は明確に存在する。乱世に革命意識を見るという視点はわりと広くあっただろう。「古市のもの」の頭となった胡摩は、一族郎党を率いて、一条兼良の所蔵する貴重な古文献を燃やし尽くし破り尽くそうとする。将軍暗殺をも目指す。歴史を今から書きなおそう、虐げられた者が表舞台に立ち歴史を描きなおそうと。
ただ、そこに終わぬところ(どこ?)がこの作品の面白さではないか。
胡摩を乱世の真っ只中へと導いた一休宗純は、乱世を嘆くでもなく称えるでもなく省みず、将軍義政との約束をすっぽかされたりすっぽかしたりしながら、最後には再び諸国行脚の旅へ出る。一方弟子の新左衛門は、「捨てたくもあり捨てたくもなし」*4などと歌を詠みながら、一休を「くそ坊主」と影ではいいつつ、だからこその師、と考え、世相を談義しつつ、最後には胡摩にフラれる、という展開。



例えば、「焼跡のイエス」において、汚らしく惨めな少年がイエスに転生する。しかし、その転生はすぐに裏切られるし、活気があり人間の生の姿を見せ付けていた焼跡の市場は公の管理化となる。そこには痕跡しか残っていない。→id:ADabiko:20050123#p1
石川淳が「血のかよった人間の群運動」「乱世の革命神話」を安易に信じていたとは思えない。「血のかよった人間」は、そんな思い込みにこそ、殴りかかってくるはずだ、「焼跡のイエス」の少年のように。
「無道人」と「無頭人(アセファル)」の類似で何か言えないかなぁとも思ったが、知識不足。

とにかくまとまりのない文章になっちゃった。何が言いたいのかわからない。もし読んだ人がいたならば「ごめんなさい」と言いたい。


追記:石川淳が学生時代に大杉栄周辺のアナーキストと付き合いがあったことは有名な話。文芸文庫の作家案内によると、大正13年に福岡の高校に赴任して、福岡の炭坑労働者らとも付き合いをもったという。ただし、学生運動を扇動したという理由により、1年半で解雇されている。このような作家の実人生から作家の革命意識を見て取ることは容易だ。
しかし、「紫苑物語」「八幡縁起」「修羅」のテクストを読んで思うのは、無道人という存在のもつ二重性だろう。「紫苑物語」における宗頼と平太(あるいは宗頼=平太)、「八幡縁起」における公時の健やかさと高師直の暴虐、そして「修羅」においては、権威を焼き尽そうと炎と化す胡摩と世捨て人一休宗純
「修羅」の印象的な場面を一つ。
一休と蜷川新左衛門が胡摩について語っていたとき、新左衛門が歌問答によって鬼=胡摩の執念を折ってあげたいと語っているそのとき、不意に一つの歌が聞こえる。もちろん胡摩の声。胡摩の歌が発句となり、それに新左衛門が続き、一休がさらに「かっと目を見ひらいて、吐きつける」。以下の三句による連歌がそれだ。

牡丹むなしき袖のうつり香
落人の影より秋の立ちそめて
西も東も露の道なり

そして胡摩は一休に言う。

塵の世の道しるべに、ふたたび禅師の一喝を頼みましょうか。わが行く方はついに世捨て人の知りたまわぬさかいじゃ。露か、炎か。炎を頼んでここにはまいりました。

結び*5にて、世捨て人一休は、義政の待つ能舞台を背に、諸国行脚のたびに出る。

一休宗純、笠かたむけて、門より踏み出し、ここはいくさのまんなかに立てば、行くところの林泉は杖のさきにあり。人間はすなわち目のうちにあった。

求めるところこそ逆なれど、「さかい」を「踏み出し」ている点では同じ、じゃないのか。この緊張関係を、片方に回収させるのはマズイ。石川淳の作品には常に反対物が付きまとっている。二つの中の一方を選んだと思ったら、その中にも対立があり、さらにまた・・・たしかに重心は常に反権威(反権力というより反権威といったほうが良い)にあると思うが。


またまたまとまりがない・・・もう一度「ごめんなさい」・・・

*1:しんえもんさん!本当は新右衛門?しかもここでは一休の弟子になってる。時代設定などは、実在の人物を配していながら、意図的に書きかえられている。

*2:そりゃあっただろう。

*3:読んでないんだけど。。。以前にも指摘したが立石氏は『はにやゆたか論』の著者でもある。

*4:その後には一休の「いつわりと知れども恋のさそい水」と続く。

*5:毎回結びを引用してしまうのはあまりに見事だから。閉じていない、という意味で。